テーブルに並べて
最近、立て続けに身近な職場の同僚が二名退職した。仲が良い...まぁ少なくとも自分は尊敬しているし仲が良いと思っている二人だ。その二人と飲みに行った。つまり三人で。退職に至るまでの過程にものすごく興味があった。というのも、そのうちの1名とはちょうど一年ぐらい前からずっとお互い苦しい立場にあり、互いにその気持ちを吐露しあったりしていた。もう一名とはちょくちょく1on1をするので、その中で様々なことを聞いていた。両名とも、仕事上の付き合いはもちろんあるのだが、そこまで強烈に毎日のように絡みがある関係ではない。まぁ一週間の中で一回以上は何かあるかも?程度。でも、気が合うのでよくお話しさせていただいていた。辞める話を聞いたときには、もちろんもう少し一緒に仕事したかったなという若干の残念な気持ちはあるのだが、それ以上に まぁそうだわな っていう感覚のほうが強かった。とはいえ、そこまで深い話は知らなかったので、改めていろんな話を聞く場であった。ひとまず、めちゃくちゃ面白い場になった。5時間ほど同じ場所で飲んでいたのかな? そんな長い時間飲んでた記憶は全くないぐらいあっという間の時間だった。二人とも自己への理解が深い。自分がどういう場に合うのかというのを理解している。すげーなー 自分はこんなこと言えないなって思った。もちろん考えないわけではない。それっぽいことは頭の中にある。でも、こんなはっきりと言えない。それこそやめるまでの数ヶ月以上、色々と考えまくった結果らしい。さらにキャリアコンサルにもついてもらって自分の思考整理とかもやっていたらしい。すごい。やはり他人と話しまくったほうがいいらしい。自分だけだとドツボにハマるとのこと。なんとなくそんな感じはする。していた。というのもあって、実は自分はこの飲みの場をものすごく楽しみにしていた。自分に迷いがあるからこそ、なんか喋りたいなっていう気持ちを漠然と思っていた。漠然とする中で二人には申し訳ないのだが、そのふわっとした現況に対して、ビシっとした何かの意見というのを出してくれる二人であろうと勝手に期待していた。結果、それ以上だった。別に結論なんか出るわけないし、それは求めてない。平日は仕事ばかりでそれ以外の何かを前に進める余裕はない。自分にはその力がない。休日は多少なりとも時間は使えるのだが、それはもう家族のために使っている。なんかそんなジリ貧のような状態の中で、それでも何かせねばならん、落ちるだけだと思っている。少しでも何かできることと考えると、やはり自分とは少し違う他人と何かしら喋って意見や価値観を知りたい。知った上で、自分でそれらをスパイスのように組み合わせながら、また別に考えたい。残念ながらその時間がまずとれないのだが... 幸運なことにもう少しで年末年始が訪れる。そうしたらまとまった時間はとれる。仕事から離れ、都会の喧騒から離れ、比較的ゆっくり考えられる。それまでの間、残り1ヶ月の間に可能な限り素材集めをしておきたい。テーブルの上に材料を並べた上で、さらにその中で、これらを組み合わせて、さぁどうしようかな、どう料理しようかなと、そうゆっくり考えたい。現代人にはそういう時間が少ないんじゃないだろうか。仮に時間があっても、スマホを見てしまったり、そうでなくとも少し外出すれば莫大な刺激に溢れている。休んでいるようでヒトは休んでいない。休まらない。脳は非常に活発に動いている。少しくらいCPU使用率を下げてあげた方が良いと思うんだ。その余白にこそ、ヒトらしいコト、自分らしいコトを生む土壌だと思う。しかし、ずっと余白がある状態でもきっとダメなんだ。テーブルに並んでるのが大事なんだと思う。たくさんの、それこそ何の役に立つかもわからないゲテモノのような素材であったとしても、もしかしたらそこから転じてびっくり仰天な何かが生まれるかもしれない。そうするためにも、やはり材料が並んでいるのが大事で、それをゆっくり俯瞰しながら吟味しながら、さてどうしようかと悩む時間が必要なのだと思う。それこそ、現代人にはなかなか貴重な余白でもってそうできるのだと思う。