本文へ移動
弥終弥終

昔の同期と

つい先日、新卒で入社した会社の同期と遊んできた。お互い車好きなもので、オートサロンに行ってきた。わざわざ遠くから来てくれたのでそのまま解散というのも寂しいなと思い、そのあと飲みにも行った。すごく楽しかった。自分は仕事はあくまで仕事だと思っており、そこでの関係性はあくまで仕事に終始している。つまり友達ではない。プライベートに関係性を持ち込まない。もちろん仕事終わりに飲みに行くとか、なんか土日にどこか遊びに行くとか、そういうのはあるのだが、決してそれは友達だから、ではない。あくまで仕事の延長線みたいなもので、気が合うからそういうアクションになっているだけである。友達とは全く異なるのだ。あくまで仲間なのである。一方で、会社をやめてなお関係性を続けたいと思う人たちも一部いる。これはもうロジカルなものは何もなく、もう単純に頭で、心で、あーまた話したいな、と思う人たちも当然いる。自分の中では、そういう一部の人たちは明確にもう仲間ではなく友達になる。新卒で入社した会社は曲がりなりにも上場企業であったので、同期はそこそこな数いた。しかし、やはりそういう想いを持つに至ったのは片手未満の数しかいない。でもそんなもんだと思う。友達を増やそうとは全く思ってない。心で本当に無意識下で醸成された感情に基づく関係...自分にとっての友達はそういう感じだ。だから増やそうとは思わないし、むしろ自分のキャパ的には少ければ少ない方がよいかもしれない。だから数十人の同期の中で友達に発展したのが片手未満というのはまぁ普通だし、たぶんむしろ多いぐらいなんだと思う。たしかに彼らは本当に自分の中で特別になっているというか、やはり普段の中で、何やってるかなーとふと思う。今回もそうだった。オートサロンに行こうと思ったときに、ふと頭をよぎった。お互い会社をやめて遠くにいるので、簡単には誘えない。申し訳ないなと。でも友達なので、まぁ無理なら無理で断るだけだし試しに誘ってみるか、といきなり思ったわけだ。ものすごく嬉しいことに突然だったのにも関わらず誘いに乗って来てくれた。本当に嬉しかった。男ってのは別に普段はべったりとせずとも数年に一度でもいいから会えばそれで十分だと思う。会って5分もあれば元に戻る。昔の関係性のままに喋れる。数年ぶりであっても、あたかも数日ぶりかのように戯れ合える。今回まさにそうであったし、今まで他の友人たちを踏まえても、いずれもそうであると思う。そしてみんなびっくりするほど変わらない。ずっと以前のままだ。きっと自分もそうであろう。そうであってほしい。彼らにとって自分は昔の自分のままであってほしい。変わることが怖いわけではないのだが、そうではなくてなんか違う。変わるにしても昔の自分の延長であってほしい。それは自然な成長であったり、純粋な時間経過である。そうやって、いつぶりかに会って、あーお前変わってねーな、と、昔のバカみたいに話したい。いや別にそんな発言をするわけではないのだが、そういう発言もなく、普段のように話しているまさにその形が欲しい。なんかお前変わったな、と思ったり、思われたりしてしまったら、なんだろう。なんだか悲しくなる気がする。今のところそういう場面になったことがないので、実際問題わからないんだけれども。じゃあそういう話をしたとして、何か良いことがあるのかと言えば、まぁ別にない。ないのが良い。現代人は常に前進しなければならないと思いこんでしまっているのではないだろうか。何も進捗も生産もない日があっていい。そういう時間があっていい。意外とそういう時間は手に入らない。逆に現代ではそういう時間を手に入れることのほうが難しい。それが吉とも凶ともでず、ただただ変わり映えのない単なる日常の一場面であっていい。無駄という人もいるかもしれないが、であるのであれば、その無駄が現代だからこそ必要なのだと思う。今さら昔の同期と話して何になるというのだ。何にもならん。でもそれがいい。ただただ楽しい。楽しいだけでいい。あー楽しかったな、と。また話したいな、会いたいな、と。そういう想いを持つだけで、自分はまたこれからがんばれる。がんばった上で、また会って、そして別にそんながんばった話なんかどうでもよく、ただアホな話でもして時間を無駄にしたい。